exhibition
《日々の生活から展示内容》
油絵具というモノは、つくづく扱いづらいので困る。
ひとまず、ただフラットな色面を塗り分けてみただけのつもりでも、グロテスクで禍々しい存在感を逐一主張してきたり。
しかし、例えば、ライブハウスに赴いて好きな音楽を聴いている際にも、演奏の音圧が大きいゆえに歌声がハッキリと聞き取れない場合などがままにあるものだが、それもまたライブの臨場感というふうに好意的に解釈できなくもない。
ならば、絵具の禍々しい雰囲気もそれに同様で、描かれたイメージを手繰り寄せるよりも先に飄々と立ちはだかってくるマチエールというやつこそが、おおむね、絵画を絵画たらしめていると言えなくもないのではないか。
例えるなら、あえて激しい轟音にこだわる奏者もいれば、ペインティングナイフで必要以上に絵具を盛り上げるという絵描きも珍しくはない。
あるいは、決して譜面どおりに弾かないアクロバティックさで客席を魅了するような奏者がいるかと思えば、人物の顔の肝心なデッサンなんぞをわざわざ歪曲しながら描いて見せるというのが絵の醍醐味になる事もある。
云々と。
いったいぜんたい、人は何に対してリアリティーを感ずるかについて思案するのも肝心なプロセスには違いないのだが、より俯瞰して見た際などに、あの手この手を試そうとする小賢しさばかりが際立ってしまうようでは甚だ疑問である。
10代の半ばで、自分はなんとなく、芸術家になるものだと信じて疑わなかったが、時を経るごとに、その言葉の尊大さと手仕事の稚拙さとのギャップに我ながら悩まされつつ、それでもどうにか、絵描きであるという意識だけは不思議と絶やさずに今に至っている。
そして、やはり、油絵具特有の禍々しいテクスチャーと、大柄な筆のストロークとをあえて隠すまいとするほどに、きわめてシンプルな『人物』というモチーフが切っても切れなくなってしまう。
これすなわち、鑑賞者自身もまた『人物』であるがゆえのリアリティー。それ以上でもそれ以下でもあるまい。
何よりまず、若い時分には、例えば、ダリのような幻想的な世界を緻密な薄塗りで表現するのが画家の真骨頂と信じていたものだが、今となっては、ミニマルな抽象画を淡々と描きながら暮らすのが老後の楽しみだとさえ思っている。
あるいは、饒舌で風刺的なカートゥーンとやらも決して悪くはないのだが、猛烈に描いてみたくなる時期と、ピタリと飽きてしまう時期とが交互に来るというわけで、人生を掛けるほどの仕事とまでは言い難い。
しいて挙げるならば、フラットな素描のテクスチャーから、油絵具の厚塗りを駆使した肉感的な人物像の表現に次第に傾倒していったルシアン・フロイドの画境には思うところがある。
今からかれこれ20年も前、美大在学中にイタズラ心で描いてみたのは、ラブホテルのベッドに腰掛けてシナを作る女子高生の絵。
その後もしばらくは雑多な模索が続いたものの、ペインティング自体を久しく描かない時期などもありつつ。
そして、数年前、40歳を目前にひかえたあたりから、『現代の春画』といったテーマの展示に定期的に携わるようになり、性的なニュアンスの図像をアレコレと描きなぞってゆくのが半ばライフワークのようになりつつあった中、よくよく考えてもみれば、かつて自分が女子高生の絵を最初に描いていた頃に出生した女児が今では女子高生になっているのがなんとも感慨深いというわけで、これすなわち、逞しくも華奢で可憐な少女たちの姿を再び油絵に起こしてみようと思い立ち、今日に至る。
同展示では、20代の時分に試験的に制作していた簡素な人物画等のシリーズに併せて、思考のプロセスとも言うべき多様なドローイング群を公開。
さらには、約20年の時を経ながら同様のテーマで展開させた新作もラインナップに加えている。
幾多の時代の移り変わりと、変わらずにそこにある作家の皮膚感覚。
いつしか、油絵具のギトギトした頑迷な質感に妙に手慣れてしまったのならば、もはや自己模倣の諦念を砂のように噛みしめながら、老いた親を喜ばせるための無垢なカートゥーンでも描いて見せるより他はなくなるのだが、幸か不幸か、後にも先にも、そんな日々が訪れるはずもなさそうである。
合掌。
《随想、雑感など》
何かにつけて、そのものズバリの短い言葉で自分自身の理想を語る事ができたなら、むしろ、これから先は、その理想に対して興味を失ってしまうような気がする。
逆に言うなら、半分は思ってもみないような大風呂敷を広げる事で遠回しに自分を鼓舞してみたりとか、それぐらいの感じでちょうど良いのかも知れない。
ある人が言った、思想を食べる、というニュアンスが、かれこれ10年以上も頭から離れないでいる。
咀嚼して飲み込めば栄養になるというならありがたいものだが、日々の新陳代謝を繰り返す中で、1度食べたはずの思想を綺麗サッパリ忘れてはいまいか。
あるいは、はなっから勤勉な態度など諦めて、何を学ぶでもなく、ひたすら『もっともらしさ』のエッセンスのみを抽出しながら味わってみるのも一興かも知れない。
さればこそ、どこにでも売っているような安値な菓子を高級な料理にでも見立てながらチビチビと味わうような、ごく些細な拘りの瞬間を、幾つになっても保ち続けていたいものである。
あまり子供の時分には、きっと、大人になったら、小洒落たバーのカウンターに腰掛けながら渋い顔をしてグラスを傾けたりしているのだろうなと、うっすらと空想などしていたものだが、今のところ、そのようなモノに触れたためしはなく、おそらく一生涯縁はないだろう。
もはや高望みなどしなくとも、せめて、苦いコーヒーに躊躇なく手が伸びるようになったら、それはもう立派な大人という事で、今日も誰かの思想の残り飯をあさりながら高級なディナーを満喫してやろうじゃないか。
40代も半ばを迎えつつあって、ともするなら平均寿命の半分以上を過ぎてしまったのだなと感慨に浸る。
まったくもって、40を過ぎれば、これにてジョン・レノンが永遠に自分よりも年下になってしまったのだな、などと笑って話していたのさえ、遠い昔のように感じる。
今後、残された半生を掛けて、あと何枚ほど絵を描けるだろうか。
きっと、大人になったら、ダリのように細かい筆使いでもって不気味で幻想的な景色を堂々と描いてやるのだと、息巻いていた10代の頃。
そして、考えてもみれば、その当時の自分がまさに嫌ってすらいたような画風に次第に傾倒して今に至っているという、一筋縄ではいかないこの感じ。
いやはや。これだから、芸術というやつは。
《ストライプの水着》
2003年作・キャンバスにアクリル
22.7×15.8(㎝)
《雫》
2021年作・キャンバスにアクリル
22.7×15.8(㎝)
《夜》
2022年作・キャンバスに油彩
14×18(㎝)
桜井貴 個展
「Re;start 2003〜2023」
2023年8月5日 (土) 〜 2023年8月15日 (火)
Sat Aug 5th 2023 〜 Tue Aug 15th 2023
【作家略歴】
1979年12月30日・茨城県にて生まれる。(同年同日・彫刻家『平櫛田中』死去。)
(同年12月29日・モデル兼タレント『押切もえ』千葉県にて出生/同じく31日・女優『中越典子』佐賀県にて出生。)
中学時代より油絵を始め、3年の学園祭で「初個展」を開催。
1996
「全国高校総合文化祭」絵画部門・茨城県代表。(のちに「文化連盟賞」受賞。)
「旺文社主催学芸科学コンクール」絵画部門入賞。
「全国学生美術展」入選。
美大入試に備え、近所に在住の画家蓮乗院一雲氏にデッサンの手ほどきを受ける。
1997
「読書感想画コンクール」佳作。
1998
現役での美大入試に失敗し、新宿美術学院油絵科昼間部に1年間在学。
蓮乗院氏のデッサンが、写真を見ながら緻密に描き起こすようなセオリーだったため、いわゆる予備校ふうの絵のノウハウとのギャップに終始苦しむ。
1999
東京造形大学造形学部美術学科比較造形専攻入学。
理論系の専攻に籍を置きつつも、あくまでも自分は実技系を志向していると言い通し、絵画科の非常勤講師だった中村宏氏にコンタクトを取るなどして独自に暗躍する。
2000
個展「桜井タカシの絵と詩と裸(ら)」開催。(青山/ギャラリーアートスペース)
各地ドライブインに派遣されての似顔絵描きのアルバイトを数回ほど経験する。
2001
NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」にエキストラ出演。
2003
東京造形大学造形学部美術学科比較造形専攻卒業。
かつて桜井の画風を手厳しく批判した絵画科教授母袋俊也氏の抽象画の筆致を真似て漫画チックなウンコを描き、卒業制作のひとつとして展示。物議をかもす。(これを期にパロディ的な方向に開眼する。)
教員免許取得。
学芸員資格取得。
多摩美術大学大学院修士課程美術研究科入学。
2005
多摩美術大学大学院修士課程美術研究科修了。
堀浩哉教授に師事。
個展「桜井貴の食器ング!帝国」開催。(銀座/青樺画廊)
2006
個展「青春画の系譜」開催。(相模原/ボイスプランニング)
2008
「西脇市サムホール大賞展」入選。
グループ展「ジュリエット&ジュリエット」参加。(銀座/銀座芸術研究所)(のちのArt Lab TOKYO)
アートイベント「Mass Reaction 1109」副代表 をつとめる。
「全員展」参加(清澄白河/MAGIC ROOM?)および「全員展アワード」受賞。(展示翌月号の「美術手帖」誌に掲載。)
ライブハウス「Doors」での「初台現代音楽祭」にて展示。灰野敬二氏らによる「ノイズ音楽」と共演、刺激を受ける。(同イベントには翌年も参加。)
2009
「ぴちぴち行動展」参加。(池袋/ターナーギャラリー)
誕生日の12月30日を含む日程で、個展「今月30歳になるので、30作からなる個展をやります。(計30字、句読点含む。)」開催。(経堂/アンティークスタジオ・ミノル)(なお、この会場となった画廊は「愛☆まどんな」こと加藤愛氏の実家が運営していた。)
2010
愛☆まどんな氏・大塚聰氏による漫画同人誌サークル「うさぎっこクラブ」に加入。
都内通信制高校に美術教師として1年間在職。
2011
「わくわく渋谷」参加。(渋谷/ワンダーサイト)
岩田舞子氏・海野貴彦氏・酒井貴史氏らとともに「art partyるくる」の旗揚げに参加。(以後、アートイベント等を定期的に開催。地域密着型のイベントから都内での展示、パフォーマンス、小説執筆、演劇、カードゲーム制作等、活動内容は多方面にわたる。)
「hanami展」参加。(茅場町/Art Lab TOKYO)(なお、同画廊は2年後に秋葉原に移転となるも「hanami展」「hanabi展」「Art's berthday」といったグループ展を定期的に開催し、桜井も継続的に出品して今に至る。)
「うさぎっこクラブ」としてのグループ展「卯展決行」開催。(秋葉原/island3331)
同じく「うさぎっこクラブ」として冬のコミックマーケットに参加。
2012
スケッチブック漫談芸のスタイルを確立。
アイドルグループ「BiS」のメジャーデビュー曲「PPCC」のプロモーションビデオにエキストラ出演。
「バカート展」参加。(発起人はOOMこと右田晴山氏。)(千葉/トレジャーリバーブックカフェ)
登戸のアパート「チロリアンハウス」にて「四畳半アートフェスティバル」の旗揚げに参加。(以後、定期的にフェス開催。発起人は写真家谷口雅彦氏。桜井は告知用フライヤーを毎回担当する。)
大塚聰氏・伊藤雅史氏とともに「掘りごたつ派」を結成。(会田誠氏が97年・04年に開催したグループ展「こたつ派」のスピンオフ。)
2013
「掘りごたつ派」としてSICFに参加。(青山/スパイラルホール)
2014
「掘りごたつ派」を中心としたグループ展「掘りごたつハリケーン」参加。トークイベントで会田誠氏、パルコキノシタ氏、アイドルデュオ「ナマコプリ」らと共演。(四ッ谷/アートコンプレックスセンター)(その後、「掘りごたつ派」は現在まで活動休止に入る。)
2015
「バカート展ビヨンド」参加。(千葉/トレジャーリバーブックカフェ)
2016
「桜井貴の

アート新聞」創刊。
「NEO春画展」参加。(秋葉原/Art Lab TOKYO)
自主企画によるグループ展「大塚聰とその時代(笑)展」開催。(歌舞伎町/砂の城)
「現在戦争画展」参加。トークイベントで根本敬氏らと共演。(阿佐ヶ谷/TAVgallery)
個展「画家は2度死ぬ」開催。展示内のイベントにて、写真家谷口雅彦氏、小説家渋澤怜氏、ライター福田フクスケ氏、地下アイドルのerica氏らと共演。(秋葉原/Art Lab TOKYO)
2018
三杉レンジ氏主催による「絵画教室ルカノーズ」にて油絵の1日入門講座を担当する。
「掘りごたつ派」として活動する折にトレードマークだった茶色のドテラを、画廊の同胞でもある牧田恵実氏に譲渡。
「Art Lab last show」参加。(秋葉原/Art Lab TOKYO)(年度終わりの常設展として)
2019
ミュージシャン岡田徹氏、サエキけんぞう氏らの主催による「9月の海はクラゲの海」展覧会に参加。(吉祥寺/gallery shell 102)
現代の春画をテーマとしたシリーズ企画「nuranura展」に初参加。以後、2022年まで継続して出品。かねてより画廊の同胞だった牧田恵実氏やあおいうに氏のみならず、三嶋哲也氏やろくでなし子氏らの作品に触れ、刺激を受ける。さらには、ギャラリスト森下氏のコレクションから横尾忠則氏やジェフ・クーンズ氏といった面々によるマスターピースまでもが同展示のラインナップに加えられる。(なお、展示タイトルは、葛飾北斎の春画作家としての名義「鉄棒ぬらぬら」に由来するため、会期封切り前に北斎の墓所を個人的に参詣するのが恒例となっていた。)(秋葉原/Art Lab TOKYO・DUB gallery共同企画による)
2020
「アマビエ展」参加。(吉祥寺/gallery shell 102)
2021
「あおいうにとゆかいななかまたち~友達100人できるかな~」参加。比較的若い世代の面々とも交流するなどして人脈を広げる。(大島/プライベイト)
2022
公募団体展「純展」入選。(上野/東京都美術館)
2023
公募団体展「純展」入選。優秀賞受賞。(上野/東京都美術館)